仕事では、むしろ私の方が技術を持っている部分もあり、それほど差は感じません。
しかし、飲み会などで大学の話題になると、話には入れず、なんとなく下に見られているような疎外感を感じます。気にしていないつもりですが、モヤモヤします。
もういい年なのに、まだこんなことが気になる自分が嫌になります。
どう気持ちを切り替えたらよいか、何かアドバイスいただければ幸いです。
(45歳男性・製造業)
マセ : はい。よく分かります。この方は専門学校卒だけど、高卒の方にも、こういうお悩み多いですね。
正直言って、僕は、学歴なんて全く関係ないと思います。今は実力が優先されますから。
高卒の方が能力がないなんて思ったこともない。努力して勉強して、トップのレベルで仕事している人もたくさんいますからね。
ミタ : そうですね。
大卒は何が違うのか
マセ : 僕、ずいぶん前に、「高卒や専門卒、4大卒は何が違うんだろう」って考えたことがあって。
大学4年間を、勉強してたってのは建前で。ほぼみんな遊んでるよね。
それに比べて高卒の方々は、いきなり就職して。20歳前後の一番楽しい時に仕事をして、社会に揉まれている。専門卒の方も、技術を身につけて働いている。
なのに、遊んでた大学生が後から入ってきて、彼らの方が給料が多かったり、偉くなったりして。そりゃ高卒や専門卒の人が面白いはずもなく。
ミタ : そうですよね。
マセ : じゃあ大学出てれば仕事ができるのか、っていったら、案外できなかったりする。
学歴と、仕事ができるできないは、あまり関係がないんです。中にはそういうこともあるかもしれないけど、一概には言えないよね。
ただね、20歳くらいの時って、青臭いことを論じる時があって。社会が不平等だとか、日本はどうあるべきかとか。大学時代はそういう時間がある。少なくとも僕らの頃はそうだった。
たぶん今の若い子たちでも、あるんじゃないかな。
なので、違うのは、そういうことを真面目にやる場面があったかどうかの違いかなと、ふと思う時があります。
これは僕の偏った見方なので、誤解がなければいいんだけど。
ミタ : 世の中について考える、議論するということですね。確かに、仕事に追われてたら、そういう時間は取れないかもしれないです。
学歴に関係なく、努力は必要です
マセ : いま成功してると言われてる人でも、決して学歴で成功してるわけではないので。
「たまたま人生に大学があった人、なかった人」の違いだけです。
同じ22歳でも、すでにスタートが違うとか、そんなこともないと思う。
ただ、残念だけど、日本の社会はいまだに、学歴を重んじる傾向があります。
昔よりは減ったと思うけどね。だから、それには一定の努力も必要で。
周りからガチャガチャ言われないくらい、力をつけて。文句言われないほどの実績を出すとか。そういう努力や勉強は、やっぱりしないといけないと思う。
ミタ : はい。
マセ : それは大卒だって同じことでね。
東大の人が努力してないかって言ったら、そうじゃないんだよね。彼らはやっぱり、ちゃんと勉強してる。努力もしてる。確かに頭のつくりはいいです、間違いなく。
東大と競争しようと思ったら、しんどいです。ただそれ以外の学校は、高卒も専門卒も大卒もそんなに差はない。大学といっても、いろいろあるからね。
とは言っても、彼らも大学に入るために、高校の時は努力していて。
それはもう、どの段階で努力をするかの違いなんです。
ただ大卒はね、大学に入った段階で、「あとは就職だ、一流企業に就職できれば人生は安泰だ」みたいな感じがあって。だから就職すると、ムリをせずに「危ない橋は渡らない」的な安定志向が増える。
中卒や高卒の方にはそんな安定志向はもともとないから、ある意味、常識の枠を超えられる人が多い。
最近活躍している人には、こんな傾向を感じてます。
頭脳がずば抜けている方はいらっしゃいますが
ミタ : 東大は、何か特別なものがあるんですか。
マセ : 東大を出る人って、メモリー容量が大きいんです。記憶力が、ずば抜けている。
しかも、それを頭の中から引っ張り出す速度が速い。CPUが速いんだよね。
彼らの頭脳はそういう風にできていて。僕なんかもう、いくら努力しても、とてもかなわない。
ミタ : そうなんですか。圧倒的ですね。
マセ : あとは人間の大きさみたいなことになるんだけど、知識にゆとりのある人は、一般的には器が大きい。落ち着いて、理路整然としている。名誉欲もなければ、金銭欲もない。そこそこであればいいよ、くらいの感覚でいる。
仕事や紹介で、大学の教授と話す機会は時々いただくんだけど、やっぱり皆さん気持ちのゆとりが大きいです。東大の教授とか、本当のトップランクの方々って、がつがつしてなくて、ゆったり構えていて。話していると、僕も気持ちが豊かになる。
ミタ : 分かります。偉い人ほど偉ぶってないし、自然体というか。
こう言っていいのか分かりませんが、そこそこな人ほど、学歴のことをぐちゃぐちゃ言ってきたり。
マセ : それはあるかもしれないね。僕はたまたま成蹊大学で。別に偉い大学ではない。
安倍首相が出た大学で、「ボンボン校」と揶揄されることもあって。もっと上のレベルの大学を出た人から見れば、「成蹊?何それ」ってなってるかもしれない。
でも、僕の中で、成蹊大学は別にコンプレックスじゃないので。彼らは僕の上に立ってるつもりかもしれないけれど、僕から見たら、そんなに上には感じないんです。
ミタ : 確かに。本人がコンプレックスを感じてなければ、それは成立しないですよね。
でも学歴は、気になりますよね
マセ : このお悩みはね、けっこう真剣になっちゃいますね。
実は僕、子どもの頃から気になっていることがあるんですよ。
うちの両親、親類縁者、みな高学歴で。トップクラスの大学ばかりなんです。
ミタ : はい。自慢と取られかねない話になってきました。
マセ : それがね。小学生の頃、歳の近い従兄妹たちも出来が良いのに、僕だけ成績がボロボロだったの。勉強が大嫌いで。
京都の祖母の所に遊びに行くと、祖母に「なんでアンタはそんなにできないの」って、毎回お小言を言われて。それがトラウマみたいになってて。今でも取りつかれてるんです。
もう本当にね、おばあちゃん怖い(笑)
ミタ : あはは。おばあちゃんって、一般的には優しいイメージですけど。
マセ : 僕の父親は東大なんです。だから、東大は父の出た大学というだけで、あまり、「すごい」と思ったことがなくて。
ミタ : 身近にいれば、そうですよね。
マセ : ただ、世の中で、東大がもてはやされる風潮があるよね。それがなんとなく面白くないのはあったかな。父は確かに頭も良かったし、勉強家だったし。僕は子どもの頃、本当に勉強嫌いだったから。
たまたまそういう家系に生まれ育って、そういう状況で。それが嫌味に聞こえてしまうかもしれないけれど、僕の中では、ずっと引っかかってるんです。
ミタ : そうなんですか。いろいろあるものですね・・・。
ジャイアンには、かなわないので
ミタ : お便りでは、「もういい年なのに」とのことですが、歳を重ねれば気にならなくなりますか。
マセ : 僕はいま61歳ですけど、まだ気にしてます(笑)
若い時に作った負い目っていうのは、そう簡単には消えません。成功しようが何しようが、ずっと残りますから。それはもう、そんなもんなんです。
小学校の時に、自分の上にジャイアンがいたらね、そのジャイアンが、もし今、自分より体がちっちゃくても、やっぱりジャイアンはジャイアンなんだよね。
ミタ : 確かにそうですね(笑)
マセ : だから、モヤモヤしても、それはそれとして、今の自分の仕事をやることなんですけど。
そこで少し、視野を広げてね。
45歳だったら、仕事は自信もついてきてるでしょうから、他のところで。違う世界もいろいろと垣間見ながらね。
それは趣味でもいいし。趣味の世界を自分の仕事にあてはめるくらい、極めてもいいですよ。
「趣味は趣味で、仕事と切り離そう」って言う人もいるけど、僕は違うと思ってます。
だって、同じ人がやってるんだもん。そんな簡単に切り替えられるのか、って。
今からは家庭の時間、ここからは趣味の時間、ここからは仕事の時間。
じゃあ、仕事の時間は家庭のことは一切考えないのか。そんなのできないよね。
頭の中は、常に複層的に動くんです。いろんなことが頭に浮かんでも、それはそれで良しとしましょうよ。
ミタ : はい。見えてないだけで、案外みんなコンプレックスを抱えてたりしますし。
マセ : そうなんだよね。会社の人たちも、そうかもしれないですよ。
【今回のあなたに贈る1曲】
『マイ・ウェイ』 フランク・シナトラ (1969年)
この曲、原曲はフレンチポップス。それに英語の詞をつけたのがシナトラのマイ・ウェイです。
人生の終末にきている男が、誇りを持って自分の歩んできた人生を友人に語っているという内容。
こんなカッコイイ男になりたいものです。
【こぼれ話】 現場の方々にはかなわない