ありがたいことに縁あって、2年ほど前から東京での仕事が徐々に増えてきました。
そこで今さらではありますが、関西と東京とのギャップを身に染みて感じ、戸惑うことが多くあります。
訪問した会社で、場を和ませようと冗談を言ったら、事務の女性に微妙な愛想笑いで返されるなど、日常茶飯事です。
すべりまくっている自分に嫌気がさします。
マセさんは、どのようにして関西と関東のギャップを乗り越えられましたか?
(52歳男性・会社経営)
マセ : あー、ありますねー。あはは。 あるある。ありがちですねー。
ミタ : ものすごく同意されてます(笑)
マセ : はい。「ギャップを乗り越えられましたか?」、乗り越えてません。乗り越えられません。
まあ、それ自体、かなりムリな話なんだよね・・・。
「東京ですべる」は関西人の正しい道
ミタ : しょうがない、割り切るしかない、ということですか。
マセ : うん。昔に比べれば、関西人のボケ・ツッコミに関しては、一般的に有名になってきたよね。
だけど、そこで調子に乗って、東京でも同じようにやっちゃうと、必ずすべるんです。
関西は、小さい頃から吉本興業のおかげでトレーニングされている。
でも、関西以外のエリアでは、そうじゃないわけで。
先日も神戸の同級生たちと一緒に飲んだんだけどね、皆が無意識でボケ・ツッコミをやってたの。
彼らは関西人とはいっても真面目な人たちだから、ふざけ合ってるわけじゃなくて。
関西の標準的土壌が、みんなの中に共通してあるから、そういう会話になるわけです。
でも、違うエリアに行けば、しょせん風土や文化が違うから。同じことをやろうとしても無理なんです。
相手は、「この人はいま何を言ったの?」って。
笑っていいのか、真面目に聞かなきゃいけないのか、分からない。瞬間的にそれが判断できないからね。
つまらない洒落とかジョークとか、場を和ませようとかすると、ドツボにはまっちゃう。
「笑いを取る」がしみ込んだ悲しき性
ミタ : 笑いを取るな、ということですか? でも、体にしみ込んでるなら、やっちゃいますよね。
マセ : うん、やっちゃうね。ああ悲しき関西人(笑)
一人でボケても、誰もコケないし、落ちない。一人で突っ込んでも、誰もボケない。
だから、一人ボケツッコミをするわけです。
ミタ : なんだか悲しくなってきました・・・。
マセ : 僕の仕事仲間で、明るくて面白い、東北出身の人がいるんだけどね。
こないだも一緒に移動していたら、「あれ、財布がない」って大騒ぎして。駅の手前で、「あ、あった」とか言う。
「どついたろか」って、まあ関西人は言うよね。
そしたら、「どつくことはないだろ」って、ムッとされちゃって。いや、そうじゃないんだよー。
ミタ : あはは。そうなるんですか。
マセ : いやいや、どつかないからね、普通は。
あれが決定的な違いだよね。つっこんだだけなのに、言った方が悪いみたいになっちゃう。
ミタ : どちらも分かるだけに、うーん、難しいですね・・・。
マセ : 説明しても、ニュアンスは分かりづらいよね。そもそも説明するものでもないし。
普段は冗談を言い合う関係でも、育った文化が違うと、そうなっちゃう時があるんですよ。
ミタ : テレビなんかで見ている分には笑うけど、いざ自分が言われると、とっさに対応できない。それは、しみ込んでないから、なんですね。
存在がウケることもあります
マセ : ただ、生粋の東京の人にはね、生・関西弁は自分の周りにいないから、ウケるんですよ。
「えっ、本当の関西人じゃん」って。
ミタ : 私も、初めて関西の人に会った時は、「本当にこんな喋り方をするんだ、テレビのまんまだ」ってビックリしたのを覚えてます。
マセ : そうそう。僕が初めて東京に行ったとき、高校2年生。神戸から転校して、入ったクラスが2年B組。
あの当時、1970年代前半だけど、関西の学校は、「1組2組」だったの。だから、「B組」って妙にハイカラな気がしてね。「マンガみたいだな、テレビドラマみたいだな」って思っていた。
それでみんな、「やってんじゃん」とか、「こないださー、こういうのあってさー」とか、話をしている。
「テレビと同じこと言ってる・・・」。それは僕の中で、かなりカルチャーショックだった。
あの時代は特にね。こっちは、生・東京弁を知らなかったから。
ミタ : 東京に来て、最初にクラスの子と話す時は、どうされたんですか。
マセ : 初めの3日くらいは、僕はいつものようにキョロキョロして、落ち着きなく情報収集。
で、隣の席の子が、「マセくん、関西なんでしょ」って、話しかけてくれたの。
「うん、関西だよ」
「関西弁、出ないよね」
「そんなことないよ」
「関西弁、しゃべってよ」
「そう言われても・・・困っちゃうな」
僕、3日間で、東京弁に染まっていた(笑)
それまでは、『東京なんてナンボのもんや』って思ってた、普通の関西の男の子だったんだよ。
なのにわずか3日で、東京のボンボン校の子になっていた・・・。
ミタ : 順応性が高すぎですね(笑)
マセ : それでもたまに、「じゃあね」 「また明日ね」って言われて、「さいならー」って言っちゃう。
突然、出るんだよね。みんな、「アレ~」って(笑)
あとは、「たなかくん」 「たなか、だろ」 「あっ、たなかって言うんだ」って。
ミタ : 名字の発音も、結構違いますよね。
マセ家の事情
マセ : そうそう。「マセさん」も違うんだよね。「マセさん」 「マセさん」 関西は後者。
東京に来て、自宅で電話が鳴って、「マセですが」って言ったら、両親に笑われたの。
うちは「マセ」やろ、って。
ミタ : ご両親は、関西弁だったんですか。
マセ : それがそうでもなくてね。西宮はそれほどコテコテの関西弁じゃないのもあるんだけど。
父は愛知県の渥美半島出身で、東京の大学に行っていた。その後は大阪の会社に入ったけど、三河弁も出なければ、関西弁も出ない。母は京都出身なんだけど、京都弁なのかと思いきや、こちらも大学は東京だから、案外、東京の言葉が入ってきている。
だから、我が家はあんまり関西弁ぽくなかったんですよ。
ミタ : 面白い環境ですね。
マセ : 母が京都弁を話しているのは、聞いたことがない。母は実家でも、京都弁じゃなかったような・・・。
母方の実家は、京都の長屋でね。僕が子どもの頃、近所の八百屋に行くと、「ぼん、また来はったん?何こうてくの」って、声をかけてくれて。「言葉ちょっとちゃうな」と思ったのを覚えている。
京都はまた独特の言い回しがあるんだよね。
負けるな、関西人!
マセ : 「事務の女性に、微妙な愛想笑い」 これはね、もう、その通りなの。
だから僕は嫌気がさして、結局、殻に閉じこもる人生が20年くらい続くんです、その後。
ミタ : 面白いことは言わなくなったんですか。
マセ : 東京風にアレンジした。でも、やっぱり関西色は薄くなるよね。
なのでね、関西弁を辞めろとは言いませんが、「ボケツッコミは、危険を承知でどうぞ」と伝えたいですね。
ミタ : 仕事で関西弁はどうでしょうか。
マセ : 今どきは、仕事場で出してもいいと思う。ただ、それだって嫌がる人はいますよ。
「関西人嫌い」と思ってる人、いっぱいいるからね。
ミタ : そうですね。
マセ : 東京の人が思ってる、「関西人の姿」があるんだよね。
どこでも関係なく大きい声でしゃべる、とか、必要以上に自己主張が強い、とかね。
でも、それも違ってて。
東京弁っていうのは、一応標準語になってる。
だけど、東京は地方出身者も多いから、みんなそれぞれ、「自分の出身地弁」があるわけです。
地方出身の人が東京弁をしゃべる。「俺が方言やめてるのに、なんで関西人は関西弁をしゃべってるんだ」と。「そんな人間とは付き合えない、付き合いたくない」と思う人もいる。
それは、東京弁がしゃべれないと相手にされない、と思っているからなんだけどね。
関西はそんなのお構いなしだから。むしろ、東京には絶対に負けたくないと思っている。
そこで既に負けてるんだけどね(笑)。負けを認めているから、負けたくないんです。
ミタ : よく分かります。
マセ : 苦労するもん、最初は。
「関西のボケツッコミは通じると思うな」。「ムキになればなるほど、ドツボにはまる」。「飲み屋のおねえちゃんは喜んでくれる」。まだまだあるなあ。なにせ45年分だもん。ほぼ半世紀だね(笑)
ミタ : 本が一冊できそうです。
マセ : 関西人のための、東京ビジネス対策本。東京で苦労してきた関西人が、苦節45年、初めて書き下ろす。渾身の著。
ミタ : お便りくださった社長さん、出版した暁には贈呈いたします。いつになるか分かりませんが。
マセ : 困ったタヌキは目で分かる。
ミタ : 何ですかそれ。
【今回のあなたに贈る1曲】
『十三の夜』 藤田まこと (1971年)
大阪でコメディアンを始め、役者として活躍された大先輩・藤田まことさんの曲。
「ねえちゃん~ ねえちゃん~」が耳に残ります。作詞・作曲も藤田まことさんなんです。
【こぼれ話】 方言っておもしろい、むずかしい