先日、街で偶然、昔の知人に会ったところ、「ピアノやってみたかったの。空き時間でいいから、教えてもらえない?」と言われました。
どうやら、無料で教えてもらえると思われているようです。
こうは言いたくないのですが、私も厳しい練習を積んで、芸術系の大学で学び、安月給のアルバイトなどもこなし、ようやくここまで来ました。
好きな事をして遊んでいるわけではなく、商売として真面目に取り組んでいるのですが、こう軽く思われてしまうのが、情けなく、やるせない思いでいっぱいです。
(45歳女性・ピアノ教室主宰)
情報が無料になってしまった
マセ : そうですね。うん。分かります。これは、世の中がちょっと軽くなってきてるんですね。
ネット社会で、何でも無料でホイホイと情報が入ってくるから。
習いたい人がいて、教えてお金をいただく、っていうのは、ごく当たり前のことだったんですけどね。
思えば、ネット社会って、ついこの間まで有料だったものが、みんな無料になっちゃったんです。
例えば地図。地図は、昔はちゃんと買ってたよね。
ミタ : そうですね。
マセ : 時刻表だって買ってたんです。それがいつの間にか、スマホに、ちょんちょんと入れれば出てくる。
何時の電車に乗ればよいかはもちろん、最短経路まで教えてくれちゃう。しかも全部無料。
じゃあ、今まで有料でやってた人たちはどうするんだ、っていう話だよね。淘汰されてっちゃうわけです。
もちろん、それがなくなると困る人たちも、実はいる。
だけど、大半の人たちは紙の地図もいらなければ時刻表もいらない、となればね、そっちに慣れるわけだし、全部無料でしょ。
「ピアノくらい、タダでいいじゃん」という感覚の人は、現れるよね、そりゃあ。
ましてや、友だちなんだもん。「昔から仲いいじゃん、ちょっと教えてよー」って人はいますよ。
たぶん、僕がそれです。
ミタ : えっ。まさかの、言う方ですか。
マセ : 言う方です。
ミタ : それは、たちが悪いですね。
マセ : なので、これは僕も同じです。なんとかしてください。
ミタ : って、無料で教えろと。困ります。
マセ : というのは冗談だけどね(笑)。そう、教える側は、確かに大変なんですよね。
ポジションを確保するためには
マセ : 先日、たまたま東京芸大出身の社長さんに会ってね。
ミタ : 芸術界の東大と言われる大学ですね。
マセ : そう。それでちょうど同じような話をしてたの。
いまは供給が多すぎて、ポジションがないらしい。芸大を出て、ミュージシャンとして一流になろうとしても、それはもう大変。
昔はそれでもまだ良かったんだけど、後から後から、なり手がどんどん出てくる。もう、後がつかえちゃって、仕事なんかない。ないから、家でピアノの先生をやるという人もいるんですよ。
そうすると当然、ディスカウントが始まっちゃう。よっぽどいい先生だったらともかくも。
これは何も、ピアノの先生業界だけじゃなくて、世の中によくある話でね。
同じようなものを出していたら、同じように淘汰される。需要と供給のバランスの問題だから。
ミタ : 分かります。
マセ : こうなると、「あなた友だちだし、本当にうまく教えてくれるのか分かんないけど、私を教えて、私がお金を出したくなるような指導をしろ」くらいの話なんですね。
ミタ : うーん。そういうことですか。
マセ : そういうことです。「お金を払いたくなるような教え方をしてくれるならいいけど、もしくはリスペクト、尊敬できるような勢いだったらいいけど、そうでもないんだったら、別にタダでいいんじゃないの?」って。
ミタ : きついですね・・・。
マセ : でも、教える側は、「そうかもしれないけど、そんなこと言ったってできないんだから、最低限のものはもらうよ。いつも5000円もらってる所、じゃあ、あなたは無料でいい」と。
「その代わり、いいと思ったら、次は必ず5000円払ってね。でもイヤだと思ったら、二度と来ないで」
くらいのことは言った方がいいかもしれないです。
ミタ : なるほど。そうですね。
マセ : それはもう、上から目線の押さえつけ方式じゃ、うまくいかないです。そんな時代じゃないから。
ましてや、趣味で習いにくるような人には、特にね。おだて、すかし、おとし、やらないと。
本人のモチベーションをいかに保つか。それがどのくらいできるか。それが指導なんです。
上手いか下手かは関係ありません
マセ : ピアノは、教える本人がピアノが上手いか下手かは、問題じゃなくてね。
そんなことはどうでもいいんです。いい大学を出ようが何だろうが、関係ない。
教えて、相手がその気になるかならないか、それが大事なんです。
ミタ : 言われてみればそうですね。
マセ : そうなの。それに対してお金を払うわけだから。
「この人にお金を払ってでも、教えてもらいたい」となれば、OKなんです。
大ピアニストで、「この先生にぜひ習ってみたい」と言われるような、そういう立ち位置の人は、自分勝手に好きなこと言ってもいいんですよ。「あんたヘタね」とか言いたきゃ言えばいい。
それでも生徒さんは2万3万と払ってくれる。1レッスン10万円の先生なんかもいるからね。
一方、そんなに有名じゃない先生は、そうはいかないんです。5000円で月2回、3回、やるわけだから。
でも、だからと言って、誰でも何でもOK、としちゃったら苦しくなる。競争になるから。
ミタ : 難しいですね。
マセ : だから、いかに上手に、相手の動機づけをするかが大切になってくるわけで。
「いい気持ちだから、お金払っちゃう」、になれば最高ですよね。まあ、そういうものなんです。
「努力」ではなく、「工夫」を
ミタ : 「教える」という職業が、そういうもの、ということですか。
マセ : そう。「努力」っていう表現はちょっと違うかな。「工夫しようよ」ということ。
「どうすればいいかな」って考えるんです。僕だって先生業だから、こう見えても、いつも考えてるんですよ。
今日も、新しく入ったパートさんがそわそわしていたから、「どうしたの?」って聞いたの。
そうしたら、僕に会うと緊張する、と言う。だから、なごむ話をしたつもり。
なんだけど、いま思えば、僕の自慢話だったかもしれない・・・。
ミタ : 一度そう感じると、何を聞いても、「マセさん、また自慢話してる」って思われちゃうかもしれないですね。
マセ : すいません。気をつけます。
ということで、今回のピアノの先生。
しょうがないです。真面目に取り組んでもダメなら、工夫してみませんか。
「気持ちいい」を体験させてあげては
マセ : いや、むしろ、真面目にやったらいけないのかもしれないね。音楽は、「音」を「楽」しむ、でしょ。
生徒さんは大人なんだから、今からプロを目指すわけでもない。それよりも、人の前でちょっと弾いて、「すごい~」って言われた方がずっと楽しい。そっちを教えたらどうでしょう。
「何のために弾くの?」って、聞いてみたらいいかもしれない。
ミタ : そうですね。
マセ : 「ピアノ好きだし、上手になりたいから」 「それは分かる。みんなの前で演奏するとか、考えてます?」 「いえ、そんなの考えてないです」 「じゃあ、それ考えましょう」。
うちは年に1回発表会をやってるから、それに出ることにしましょう、と。
みんなの前で弾くとなると、モチベーションあがるし、上手になろうと思うし。それで、実際に弾いてみて、「すごい」となったら、本当に、いい気持ちですよ、と。
ミタ : なるほど。ピアノはやっぱり表現だから、何かしら表現したいんでしょうか。
マセ : いいの、そんな難しいこと考えなくてもいいの。自分を表現するって、日本語でも自分の事なんて上手くしゃべれないのに、ピアノで表現するの、大変でしょ?
ミタ : 失礼しました。
マセ : そうじゃなくてね、自分なりに、「らしく弾く」。
別に速弾きするんじゃない、少しかっこいいフレーズを弾くだけで、すごく「上手い」って感じるんです。
終わった後の、自分の「やった感」と、それに対するお客さんからの拍手、あれは味わっちゃうとやめられまへんなあ、って感じなんだよね。
それを生徒さんに体験させてあげるのも、一つの手かもしれないですね。
ミタ : そうですね。ピアノの先生、何か参考になれば幸いです。
【今回のあなたに贈る1曲】
『リフレインが叫んでる』 松任谷由実 (1988年)
どうしてどうして僕たちは出逢ってしまったのだろう・・・
出会ってしまった嫌なことは、忘れましょう。