幼少時の記憶を辿る(2)~越木岩神社へお参り
(前回 幼少時の記憶を辿る~産土神さま探しの旅 からの続き)
産土神さまを探している途中で、なぜか「越木岩(こしきいわ)神社」の名前を思い出しました。
もう何十年も忘れていた神社の名前です。
そう、子どもの頃は何度かこの越木岩神社に行ったことがあります。
産土神さまのお導きと心得、越木岩神社へ向かいます。
甲子園駅から阪神電車に乗り、今津駅で阪急電車に乗り換え。
西宮北口駅でまた乗り換え、夙川駅でまたまた乗り換え、ようやく苦楽園口駅に到着。
車で移動すれば大した距離ではないはずですが、ここは鉄ファン。
鉄道の旅(というほどのものではありませんが)を楽しみます。
昔の阪急西宮北口は神戸線と今津線の平面交差があり、電車が通過するときの音が凄く良かったのですが、今はそれもなくなり残念。
苦楽園口駅から、ほぼ一本道で越木岩神社に到着。ずっと登り坂。
記憶がよみがえります。
そうそう、小学生の頃はこのあたりを自転車で駆け回っていました。
昔から高級住宅街ではありましたが、さらに磨きがかかった感じ。
越木岩神社は、ご神体が「甑岩(こしきいわ)」という大きな石。
約50年ぶりに触れてきました。
せっかくなのでこの甑岩のことを少し。私は、このお話を今でも覚えていました。
(日本昔話風に♪)
いまから400年程前、大阪城の石垣を築く工事が始まった頃の事です。
日本全国のお殿様が家来に命じて、あちらこちらの山を探させ、大きな石を見つけては、大阪へ運んできました。
あるお殿様が、この甑岩に目を付けました。
「あんな大きな石なら、城の石垣にすれば、さぞ見事なものであろう。是非もっていって、手柄にしたい。早速切り出せ。」
それを聞いた甑岩の村の人たちは心配しました。
「この岩は昔から白い龍が住み着いている神さまの岩だ。これを割って、ここから運び出すようなことをすれば、どんなたたりがあるやもしれん。お願いです。おやめ下さい。」
村の長老たちは必死になって役人に頼みました。
けれども役人たちは、この申し出に耳を貸そうとはしませんでした。
「お殿様の言いつけだ」と、大勢の石切職人がいっせいにうち下ろした槌の音で、ノミが岩に食い込みました。
カーン、カーンと響く音は、山々にこだましましたが、見守る村人の耳には、山鳴りの音のように無気味に聞こえるのでした。
「これは大変だ。必ずたたりがあるぞ。」
大声で怒鳴りましたが、石切職人たちの耳には届きません。
ノミを打つたびに火花が散ります。それがだんだん激しくなり、そのうちに岩の裂け目から白い煙が吹き始めました。
おそろしい事が起こるに違いないと思う間もなく、その煙が白色から黄色へ、そして赤に、それから青、黒へと変わり、それらが入り交じって、ものすごい勢いで音を立てて吹き出しました。
その熱気は不思議な力をもっていて、石切職人たちは手足をふるわせ、苦しみもだえ、斜面を転がり落ちました。そして、やがて息絶えてしまったのです。
その様子を見た役人たちも、さすがに震え上がり、命からがら逃げ出しました。
こんな事があって、甑岩はいっそう人々から大切に思われるようになりました。
今でも大岩にはその当時のノミの跡が一列にのこっています。
※出典:越木岩神社ホームページ
http://www.koshikiiwa-jinja.jp/koshiki/shintai.html
さて、越木岩神社を後にして、小学生時代に住んでいた場所を探すことに。
坂を下り、途中から地図など見ず、実に適当に歩きます。
越木岩神社から15分ほど歩いたところで、「あれ、ここかな?」という場所にたどり着きました。もう50年前に比べたら、全く風景が変わっていたのですが、どうもここあたりだと。
当時この辺りは、田んぼばっかりで、私の住んでいた家の裏には小高い丘がありました。
しかし今はそれさえも形を変えてしまい、道ができ、マンションが建っていました。
そういえば小学生の時よく遊んだ、「さんかく公園」はまだあるかな。
その道のりは驚くほど簡単に分かり、そして見つけました。正確には「ハギの木津山公園」というそうです。
丘の斜面にある、三角のカタチをした公園です。ほぼ昔のままでした。
そこからわが母校「夙川小学校」を見て、阪急夙川駅まで歩きました。
産土神さま探しから丸一日。本当によく歩いた旅でした。
心地よく疲れました…。
(なんとこの日の歩数は、20,613歩でした)