シャープと東芝の身売り切り売り
日本の家電メーカーが世界を席巻していたのは、1980年代後半です。
この頃は、家電に限らず「Japan as No.1」などとおだてられ、調子に乗って世界中の不動産物件を買いあさっていた時期でもあります。
なぜこの時代、日本がこれほど強かったのでしょうか?
そしてなぜその後、中国や台湾、韓国に追いつかれ、引き離されたのでしょうか?
いわゆるバブルの崩壊は、東西冷戦の終結と重なります。
それまで東側の国々(ソ連、東ドイツ、ポーランド、中国など)と西側諸国(アメリカ、西ヨーロッパなど)の貿易は極めて少なく、西側の市場は西側だけで完結していました。
第二次大戦以降、西側の工場となっていたのが日本です。
70年代以降の日本製(made in Japan)は品質も良く、また顧客視点の商品を次々に開発し、西側諸国に受け入れられ、輸出も凄かった。
ところが1990年前後、東西ドイツの合体、ソ連や東欧諸国の崩壊、中国の市場経済化がきっかけとなり、東側の安い労働力が西側に入りだし、日本の工場を直撃します。
それまでの日本メーカーの強みは、高品質商品を低コストで生産するというものでした。
しかし圧倒的に安い賃金と、大変なモノ不足の東側の巨大マーケットは、日本の高品質などお呼びではなかったのです。
とりあえず、安くてもボロくても道具が必要だった。
そこに中国や台湾のメーカー製品が活躍を始めます。
日本は高品質や付加価値にこだわり、どうでもいい機能が満載の、ニーズに全く合わない製品を作り続けます。
こうして気がつけば、あっという間に台湾のホンハイや中国のハイアールなど、かつては下請や安かろう悪かろうだったメーカーが台頭してきたのです。
力(=資金力)がつくと、今度は高品質製品も必要になってきます。
日本の家電メーカーは、全くこの変化に対応できませんでした。
結局シャープは台湾のホンハイに身売り、東芝も家電部門を中国の美的集団に事業売却ということになりました。
日本の家電製品はまだまだ優れています。そして開発技術者も高いレベルを誇っています。
しかし、マーケティング力、開発力、そして経営者の決断力のスピード感がすべて後手後手となっていたと思います。
私もかつてオーディオメーカーにいたので、家電業界の衰退はとても悲しいのですが、新しい芽もでています。
新しい時代の新しい事業形態に、どんどんチャレンジすることが必要です。